〜香港コミックの歴史〜



〜1960年代

 日本同様、ポンチ雑誌や風刺画から歴史が始まった香港コミックですが、1920〜50年代、上海から流入した『連環画』が庶民の大きな支持を得ました。
 街角の貸本屋台に並んだ豆本スタイルの連環画は、1949年の北京共産党政府樹立前後は内容にプロパガンダ的色彩が増していきます。やがて大陸(中華人民共和国)は政治的・経済的にその門を閉ざし、連環画も上海からの供給が途絶えてしまいます。香港は自前で連環画の制作・出版を行なうようになりました。

 閉ざされた大陸をしり目に、自由貿易港として諸外国の娯楽産品が豊かに流れ込む香港。手塚治虫らが確立した日本のストーリー漫画や、米国ディズニーのアニメーションなどの影響を受け、コミック文化はどんどん洗練され、内容を増してゆきます。
 まず連環画に現代コミックの手法を取り入れ大ヒットした1958年「財叔」(許冠文/作)。ついで4コマギャグ漫画「老夫子」(王澤/作)、少女漫画の原点といえる「13点」(李惠珍/作)がブームを巻き起こします。この2作は近年も刊行が続き、「老夫子」に至ってはなんと現在も新作が出続けています(現在の形態は6〜8コマ漫画)。
そして香港コミック界はついに、現代の薄装本アクションコミック百花繚乱に向かう朝ぼらけを迎えます。


1970年代

 1971年に黄玉郎が「龍虎門」(連載当初のタイトルは「小流氓」)、上官小寶が「李小龍」の連載を開始しました。折からのブルース・リーによるカンフー映画人気、そして日本の劇画のスピーディで刺激的な表現に影響を受けた彼らは、大胆なアクション・バイオレンス描写で香港人の度肝を抜きます。またたく間に大ヒットとなり、両者は香港コミック界のキングとしてのし上がっていきます。
 作品そのものもどんどん洗練され、当初は手塚キャラクター風の短躯、4〜5頭身だった主人公キャラも、写実性を増し筋骨隆々・眉目秀麗の8頭身ヒーローへと変貌していきました。
 これらの作品の前に旧スタイルの連環画は完全に影をひそめました。過激な暴力表現は、社会問題となるほどでした。

 そして70年代末。写実性とストーリー性、アクションの迫力を極限まで追求する、ひとりの天才漫画家がデビューしました。


1980年代

 1980年、「中華英雄」の連載が始まります。作者の名は馬榮成。1976年、15歳にして新聞漫画でデビュー。池上遼一のリアリズムや、川崎のぼるの豊かなアクション・ストーリー描写を愛してやまぬ彼は、中華文化ならではの「カンフー武術」という持ち味を加え、ついに独自の金字塔をこの作品で打ち立てたのです。まさに空前のヒット、最盛期には20万部の売れ行きを記録しました。当時の香港の人口は530〜540万人。現代日本の人口比に直すと約440万部に相当します。たった1作で「週刊少年ジャンプ」なみの支持を得ていたのです。

 この作品により、”精緻で激しいアクション描写”という香港コミックの特徴はいよいよ決定づけられました。彼をインスパイアした日本の劇画がその後、表現をそぎ落としシンプル・スマート化してゆき、濃密な表現は「少年ジャンプ」系の一部の作品に残るのみなのに対し、香港のコミックは絵の密度・アクション表現の激しさをひたすら増す方向へと走りはじめました。

 この「中華英雄」を発行していたのが、黄玉郎の所有する出版社「玉郎機構」。この頃にはコミック出版を完全にビジネスとして成功させ、有力漫画家を次々と傘下におさめる黄玉郎の姿がありました。自身も「龍虎門」に次ぐヒット作品「酔拳」をものにしたほか、ほとんどの人気漫画家、ついには永遠のライバルだった上官小寶率いる「上官一族」とも協力を果たし、向かうところ敵なしのコミック王国をつくり上げます。経営多角化にも熱心で、一時は氏の名を冠したテレビ情報誌まで発行されていました。

 ところが栄枯盛衰は世の必定。80年代後半になると、有力漫画家らが次々と「玉郎」から独立してゆきます。劉定堅・馮志明が「自由人出版」を設立。オリジナル武侠作品「刀・劍・笑」が大ヒット。また、のちに黒社会コミックの大立者となる牛イ老も移籍。そして1989年、ついに馬榮成も独立し「天下出版」を設立します。が、独立第1作の準備中だった馬榮成が、何者かに襲われ手にケガを負うというショッキングな事件がおきてしまいました。

 黄玉郎自身にも荒波が押し寄せます。1987年、米国株大暴落「ブラック・マンデー」は香港マーケットにも深刻な影響を及ぼします。資金繰りの悪化に悩んだ黄玉郎は、ついに不祥事に手を染めてしまいます。法が彼に与えたのは「懲役4年」の判決。1991年に入獄した彼は、しばらくの間コミック制作・出版社経営の現場から離れざるを得なくなってしまいました。


1990年代

 黄玉郎の不在という不幸な事態で始まった90年代ですが、それは逆に多様性の開花、出版社間の切磋琢磨による質的向上をもたらし、香港コミック界にとっては極めて重要な時期となりました。

 手の傷が幸いにして浅く、無事に新連載の開始にこぎつけた馬榮成は、その新作「風雲」も大ヒット。1998年に映画化もされ、香港では知らぬ者のない存在となりました。ほかに現代ものアクション「黒豹列傳」なども成功させ、自身の会社「天下出版」の経営を完全に軌道に乗せます。

 いっぽう黄玉郎の入獄中も氏の作品の管理・発行を続けてきた出版社が、1992年に「文化傳信」と改称し異なる経営路線を歩み始めます。かたや黄玉郎も1993年の釈放後、捲土重来を期して新会社「玉皇朝」を設立。「天子傳奇」「神兵玄奇」、金庸原作の武侠作品「天龍八部」などを当て、見事にマーケットへの復帰を果たしました。
 この3社は、80年代末からブームとなりつつあった日本コミックの版権を競うように獲得し、会社を大きくしてゆきます。いっぽうで、個人規模の小出版社も企画と内容で業界に次々と殴り込みをかけてきました。

 特に活発な活動を見せたのは前述「自由人」です。90年代に入り、司徒劍僑という素晴らしい片腕を得た同社。司徒劍僑は日本のアニメ・漫画、いわゆる「おたく」文化をこよなく愛し、その繊細・緻密なタッチを香港に持ち込んで革命を起こした漫画家です。「超神Z」「六道天書」などのヒット作を生みました。ところが「自由人」は1994年、「『色情漫画』事件」(表紙は穏健なラブストーリー漫画なのに、内容にどぎついエロ表現が頻出したことから批判が集中。コミック取締強化案が出され、業界全体を揺るがす騒ぎとなった)をきっかけに経営が傾き、ついには解散を余儀なくされてしまいます。

 また、牛イ老を中心に興された「浩一有限公司」は、「古惑仔」を皮切りに黒社会=極道ものコミックを次々と発表します。「古惑仔」はメインキャラ・陳浩南や山鶏の造形のかっこよさが受け、またたく間に大旋風を巻き起こします。1996年に映画化され、シリーズで何本もつくられました。登場キャラのスピンアウト漫画もいくつも発行され、やがて黒社会ものは香港コミックの一大ジャンルとして定着します。しかし、吹き出しの非常に下品なスラングや、過激なエロシーンゆえ、作品はアングラ出版物に近い扱いを受けることになりました。

 もうひとつ、90年代には「ゲームものコミック」も爆発的な人気を呼びました。
 はじまりは「街頭覇王」(ストリートファイター)。1991年に連載開始、熱い支持を呼んだこの作品は、実はゲーム製造元の許諾を得ていませんでした。のちに続編が無許可出版のそしりを受けそうになったとき、タイトル・登場キャラを大胆に変更して逃げ切ったという、香港らしいワイルドなエピソードが残っています。
 しかしその後、コミックのあまりの売れ行きの良さに「ゲームソフトとの共存共栄をはかるのが得策」とソフトメーカーは考えるようになりました。カプコン、ナムコ、SNKといった名だたるメーカーが、出版社にきちんと許諾を出す(『授権』)ようになり、ストファイのほかにも「KOF」「バイオハザード」「鉄拳」など、人気格闘ゲームが次々とコミック化されていきました。

 いっぽう、トラディショナルなジャンルと思われがちな武侠コミックも、小説の漫画化が盛んになったのは90年代に入ってからです。
 それまでもストーリーやキャラ設定のヒントとして武侠小説が使われることは多々ありましたが、金庸、古龍、黄易らの人気小説をそのままコミック化するのは80年代末ごろから始まったことです。画力や構成力の向上により、「国民小説」といわれるほど支持の大きい武侠小説の世界をあまさず表現できるようになり、いつしか各大手出版社の看板コミックとして、武侠原作ものは育っていきました。

 こうして活況を呈する香港コミック界は、1997年の中国への返還後もなんら変わることなく発展していきました。
 が、返還後まもなく訪れたアジア通貨危機により市民生活は混乱、消費沈滞の重苦しい空気が香港を覆います。そんな中、コミック本の売上を促進するために各社がとった方法は「おまけ攻勢」でした。
 薄装本に、ミニチュア武器レプリカやミニフィギュア、マウスパッド・メモ帳・下敷きなどのグッズ、はては拳闘用グローブやニット帽まで。また薄装本自体も、ホログラム表紙、コルク製・鉄板製・毛皮つき表紙…と、奇抜な特殊仕様を競うようになります。国土・人口が小規模で、どんな出版物も小部数の香港だからこそ出来たことといえましょう。
 こうして作られた「おまけ」の中でも、特にミニチュア武器レプリカの精巧さは目をみはるものでした。ほぼ金属製で、5〜10cmの極小サイズながら、緻密に施された装飾は、香港の手工業・軽工業を支えた技術の高さをかいま見せるものでした。

 商業性を高めてゆく90年代の香港コミック界。そんな流れとは別に、"非"薄装本コミックから少しずつ、まったく新しい感性をもった描き手が生まれてきました。
不条理コミックで高感度な若者の心をつかみ、ついに日本の「ヤングマガジン」進出まで果たした利志達。都会のおしゃれボーイズの生活を活写した「FEEL100%」で頭角を現した劉雲傑。サッカーや映画スターのパロディ漫画で独特のギャグ世界を開いた甘小文。海のむこう・台湾からは、圧倒的な筆力をもつ鄭問の噂が聞こえ、香港の出版社からの熱いラブコールを受けることとなりました。


2000年以降、そして今後

 こうして発展をとげてきた香港コミック界も、2000年以降少しずつかげりを見せてきています。
 まずゲームものコミックの急激な凋落。かつては50巻、100巻と続いてきた連載が、売上不振で10巻前後で打ち切られるようになってしまいました。インターネット環境が整い、日本以上にオンラインゲームが盛んな香港。若者の興味が完全にそちらにシフトしてしまったようです。慌てたコミック界は逆に、オンラインゲームとコミックの連動企画―「天涯名月刀」「龍族」など―を打ち出しますが、いまだ成功には至っていません。

 武侠・黒社会コミックも、香港社会全体がホワイトカラー化・インテリ層中心になる中で、新たな読者層を見つけにくくなっています。おまけ攻勢も、部数減によるコストの問題や武器レプリカの安全性・粗暴行為助長への批判の声が高まり、下火となってしまいました。

 他方、日本製コミックは年を追うごとに異様な盛り上がりを見せ、毎年の「香港動漫節」でも、長蛇の列をいとわぬ若者たちが新刊や限定グッズに熱い視線を送ります。コスプレも定着してきました。各大手出版社は、版権を持つ日本コミックの売上により経営はきわめて安定していますが、地元コミックの今後については、明るい要素を見出しにくいようです。

 そんな中、これまでにないスタイリッシュな絵柄で「日本コミック天下」の単行本の世界に一石を投じる新しいクリエイターも生まれてきています。
文化傳信から作品を発表しつつ、インディーズ寄りの活動も続ける林祥[火昆]や孫威軍。美少女ゲームメーカーからの異色の参入ながらクオリティの高い作品を発表し続ける「Firedog Studio」所属作家軍団。
 これらの動きもふまえつつ、香港コミックはその独自性を正当に自己評価し、国内外への新たなマーケティングの道を探ることが急務であると考えられます。




鳴謝(参考文献・インターネットサイト)

・「香港漫画図鑑」黄少儀・楊維邦/著 樂文書店 1999年
・「アジアINコミック展」プログラム 国際交流基金アジアセンター 2001年
・雑誌「TM」付録 「2004漫画節特刊」 2004年
・「『一国二制度』下の香港」 興梠一郎/著 論創社 2000年
・「宝島スーパーガイドアジア 香港・マカオ・広州」JICC出版局 1984年
・「香港 ―過去・現在・未来―」岡田晃/著 岩波書店 1985年
・インターネットサイト「港漫歴史1970〜2003」(繁体字中国語)

その他、京都国際マンガミュージアム様の所蔵資料を多数参考に致しました。

 
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